<<< 回顧シリーズ>>>

#1−石原慎太郎のこと  030425


わが人生において 巨人(?)石原慎太郎と幾許かの接点 があった。
それがどうしたということではないが、相手が選挙で300万票を獲得するような化け物になってしまった今、
孫や子のために接点の幾つかを記録しておく気になった。話の種にはなるだろう。

小生は 大和田に頼まれてちょっとだけ一橋文芸部に所属したことがある。
何を頼まれたかというと、「一橋文芸」を発行するための資金稼ぎのダンスパーテイを運営してくれ
ということであった。一橋文芸部にダンスパーテイを取り仕切る人間がいなかったの だろう。
当時の小生の夏休みの時間つぶしはもっぱらダンスホール通いであった。新宿オデオ ン座、飯田橋松竹、新橋フロリダ、銀座クインビーなど、こういった夜はキャバレーにな る店が昼間はダンスホールになっていたのだ。 入場料は岩波文庫星2つ分くらい。安くて、音楽があって、冷房があって、女の子が 拾えて、こんないい遊び場はなかった。
そういうところに入り浸っていた小生にダンスパーテイの設営はもってこいの仕事であった。

さて小生が稼いだ資金で発行した「一橋文芸」に石原慎太郎の「灰色の教室」が載り(「太陽の季節」の前作である。)、それが文学界の新人賞をとって次の芥川 賞の呼び水となった。
一橋文芸部ではその受賞を記念してまたパーテイを企画した。「石原慎太郎・文学界新人賞 受賞記念」と銘打ってやるからにはやはり石原先輩に挨拶しておかねばならない。小生が挨拶に 行った。
照れ臭さもあって、「先輩をダシにしてパーテイをやらせてもらいます。」と言った ら、「ダシにするとは何事だ。」と頭から叱られた。そういう人であった。

当日の会場は阿佐ヶ谷会館であった。
慎太郎先輩は来なかったが、代わりに裕次郎と岡田真澄が来た。当然慎太郎 先輩の配慮であったろう。
小生らは裕次郎や岡田真澄のなんたるやを知らなかった。まだ映画に出る直前の彼ら である。
ところが二人が現れるやあたりは騒然となった。女子大生たちは彼らがなんたるかをすでに 知っていたのだ。 それとも独特の嗅覚か。
いや、物凄い熱気だった。 あんなに稼いだパーテイはない。

ダンスでいえば、 ある時 ダンス教師にダンスのコンテストに出るパートナーになってくれと頼まれて断った。そんな下賎なこと、という気持ちがあった。
断ったと云えば、バイト先の伊勢丹紳士服誂え売り場のデザイナー先生にモデル で出てくれと言われて断った。
当時の一橋生はプライドが高かったのだ。


しかし小生にとって石原慎太郎はまずサッカー部の先輩である。
田舎の高校からきた小生にとって彼の湘南高校サッカー部の来歴は眩しかった。彼の 靴を磨いたこともある。
彼は4年生の時にはサッカー部は休部していた。
ある時、東大のグランドで淡青クラブと対戦したが、相手のウイングに岡野俊一郎が出ていた。 石原慎太郎と岡野俊一郎が妙に張り合っていたのを覚えている。
小生はまだ1年生で、人数が足りなくて出してもらえた試合で、岡野と同じグラ ンドに立っていることに感激していた。

(この<<<回顧シリーズ>>>は大学同級生やヨット仲間を中心とするMLに投稿したものです。固有名詞がいきなり出てきますがお許しあれ。)

1.サッカー 石原慎太郎のこと   2.ダンス、ビリヤード     3.雀荘 
4.ラグビー  5.ゴルフ  6.ゴルフ会員権とマリーナ建設 
7.石油業転価格予測  8.ヨット1−闇舟体験  9.ヨット2−マリーナ遍歴 
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