「ナウター・スワン社訪問記録」   96/3
 
 これは出光マリンズ勤務時代、お客様にに名艇「スワン」を販売し、同行してフィンランドのナウター・スワン社の工場を訪問した時の記録です。
 
#8305/8737 アンカレッジ(船溜まり)
★タイトル (CAPTAIN ) 96/ 3/15 19:36 ( 15)
明日からフィンランド             CAP.黒潮丸
 明日、関空からヘルシンキに飛びます。10時間半の飛行ですが時差があって午後2時半に着きます。
 土日は休みですからヘルシンキで遊び、月火とナウター社を訪ねます。空路1時間のコッコラという町です。そして水曜日の夕方ヘルシンキを発って21日の10時に関空帰着です。
 本当はナウテイキャットのSILTALA社も訪ねたかったのですが、土日が入って日程が無理でした。またこれ以上延ばす余裕もありません。
 目的は今回発注したスワン44のオプション類について、現地での最終すり合わせです。注文艇の前の艇が3月末で引渡しになるので、それが船台に乗っているうちに現物に即していろいろ注文を付けようというのです。
 この目的があるから寒い最中に出掛けます。零下だそうです。
 
 ナウター社訪問1>ヘルシンキまで       CAP.黒潮丸
 今シベリアの上を飛んでヨーロッパに行くのに、ヘルシンキは最初の取っ付きです。だからヨーロッパで一番近いところと言えます。
 関空発11時10分。所用時間10時間25分。木曜と土曜に出ていますが我々は土曜に出ました。豊橋発6時45分の新幹線一番に乗って、「はるか」に乗って、9時45分に関空に着きました。丁度いい時間です。
 そして飛んで、時差7時間、当日の午後2時35分にもうヘルシンキです。運賃は10万1千円。勿論往復。
 空港からの道路は雪が融けきれず、アイスバーンです。そこをタクシーは100キロで走ります。タクシーの6割はベンツです。ホテル・マルスキは街の中心。すぐ前がストックマン・デパート。便利でした。
 今回の旅行、同行はスワン44を発注したY氏、ナウター社の関西代理店井上氏、それと僕の3人です。
 ホテルに着いたらもう早速Y氏は井上氏と艇に装備するオプションの打ち合せを始めました。熱心さに恐れ入ります。僕は街を歩いてみたい一心でしたが。
 翌日曜はガイドを頼んでタクシーでヘルシンキ観光をしました。ガイドは結婚してもう20年も当地に住んでいる日本女性です。よく日本の事情に通じています。フィンランドは好いところだけど、とにかく刺激がないと言っていました。廻ったのはシベリウスの記念碑、凍結した港(完全に凍結して人は海の上を歩いていますし、マリーナのボートは全部揚陸してキャンバスを掛けてあります。ただし6万トンの巨大な客船が音をたててその氷を踏み割り、1日1回スエーデンとの間を往復しています。ちなみに世界の砕氷船の6割がフィンランドに居るそうです。)、ロシヤ占領時代に建てたロシヤ正教会の寺院、フィンランド新教の寺院、ヘルシンキオリンピックスタヂアム、古橋の泳いだプール、岩を刳り貫いて作った教会、人口50万人の首都で見るものはそれくらいでした。国の人口は500万人で、面積は日本とほぼ同じです。
 フィンランドは600年間スエーデンの支配下にあり、その後100年ロシヤに支配されていました。もともと蒙古の末裔と言われ、山出しの樵人という印象です。どちらかというと地味で大人しいのです。バイキングのノルウエイ人のような巨人揃いではありません。
 


ナウター社訪問2>木工工場
 ヘルシンキ空港からコッコラという飛行場に飛びました。1時間です。まず木工工場に寄りました。本工場からちょっと離れています。
 見て、まさに感激しました。以前からスワンの木工には一目置いていたのですが、つぶさに案内されて惚れ込んでしまいました。その辺の家具工場では足許にも寄れないでしょう。
 チークの原木から積層加工。型抜き。曲げ加工。この曲げ加工が凄いのです。木型に挟んで圧力をかけるのですが、出来上がった枠は形がキッチリ決まって戻りません。無垢の木ではなく、積層板だからこそ狂わないのです。
 例えばドアの部分。ハルにピッタリ合わせたバルクヘッドを切り出します。そしてドアの部分を切りぬきます。そこに曲げ加工したドア枠をはめ込みます。そしてドアを取り付けます。その状態で本工場に運びます。
 例えばコンパニオンウエイのステップ。ハッチ入り口の枠からステップ、下部、裏面、すべてまとめて組み上げます。大きな家具です。
 キャビンのサイドのロッカー。バルクヘッドから例えばチャートテーブルの間を一つの家具として組んでしまいます。家具ですから必ず床板も裏板もあります。その板にもチークの積層板を使います。積層板は場所によって軽量化のためにバルサコアにすることもあります。スワンのロッカーを開けると内部がしっかりチークの箱になっていて感激したものですが、こうして作っていたのでした。
 こうして完成した家具をハルに持ち込むのですから、製作中のハルの中で鋸を使うことは殆どありません。またバルクヘッド(隔壁)がしっかりしていますから、強度も強いはずです。
 完成した家具(!)を職人が細かくペーパーをかけ、ニスを塗り、またペーパーをかけ、塗り、と繰り返していました。
 広い木工工場のあちこちに、「44ー121」(44フィートの121号艇)と記された部材が置かれていて、Y氏はいたく感激していました。いかにもこれからラインに乗る艇という感じがします。
 スワンでは、創立以来(といっても30年だそうですが)の各艇の板のサンプルが保管されていて、どんな板を使用したのかすぐ判るようになっています。Y氏は現在36F艇のオーナーですが、これだよと言ってその艇の板を見せられました。
 この積層技術と曲げの技術がスワン艇の秘密なのでした。台湾などにはこの技術がないため、無垢のチークを使います。その結果艇が重くなり、歪みも出るのです。
 
ナウター社訪問4>書類、図面、部品管理    CAP.黒潮丸
 いろいろ打合せたことは翌朝、あるいはその日のうちに書面にして確認を求められます。オプションの追加、変更等は必ず書面で行なうことになっているからです。造作の場合は図面になって出てきます。他に仕事はないのかと思うほど素早い対応です。
 ライラさんという営業担当の中年女性が、2日間付ききりでアテンドしてくれました。
 I氏はナウター社の代理店として日本国内あちこちのスワンオーナーのアフターサービスを引き受けている立場でもあり、いくつかの艇から修理用品や部品の注文を持ってきていました。それが2日目の午後には全部揃っていました。懸案になっていた修理などでは、図面まで揃えてきていました。出荷した全艇について使用部品や、内装の材質、色まで全て記録が残っています。
 先々月、修理のために五ヶ所湾に来て1ヵ月も滞在していた若い職人が、I氏と再会を喜んでいました。
 
ナウター社訪問3>組立工場          CAP.黒潮丸
 組立工場というのかどうか、名前は聞きませんでした。
 2階のフロアに穴を開けて、36Fから68Fのスワンが10隻、頭を出して建造中でした。68と36では大きさは3倍も4倍も違う感じですが、床下で高さを調整しているのでデッキのレベルは殆ど変わらず、作業員は同一フロアを移動して楽に各船内に出入り出来ます。いろんな器具工具、材料の搬入搬出や交換がスムーズです。
 常に掃除専門の人が廻っているし、空調も万全なので工場内がきれいです。
 ハルを作っている工場には入らなかったのですが、特に気付いたのはハルのための大きな型が敷地内に転がっていないことです。ヤマハでも台湾でも、工場のあちこちに大きな型が雑然と並んでいましたが、ナウター社では一つしか見かけませんでした。別の場所に工場があるのか、外注なのか、聞きませんでしたが、帰国してヤマハの人にそう言ったら簡易型を使っているのかもしれないと言っていました。
 組立工場に搬入されたハルの外側は、もう塗装済でした。
 ハル内部の機械装置、造作の設置が終わり、デッキを張ると水槽に浮かべます。ここで最終調整や仕上げが行なわれます。Y氏の前の艇(44MKU−120号艇。Y氏のは121号艇。)はこの段階でした。
 Y氏は2日間、のべ4時間も船内に入って調度の色や形、高さ、通信機器の取付け位置など、入念に打ち合せをしていました。オーナーとして最高に楽しい時間です。来て良かったと思いました。僕も「ウインディ・ホリディ」購入の時、オランダのコニープレックス社に行けばよかったと後悔しました。
 昼食は2日とも社員食堂の社員定食でした。近くに食べに行く場所もなく、質素な食事です。オーナーと打ち合せをするゲストルームも小さな、こざっぱりした部屋で、ラグジャリーな感じはどこにもありません。
 Y氏が艇に積み込む食器にスワングッズはないのかと聞いたのですが、ありません。僕も何か記念になるものを売っていないか期待していたのですが、何もありません。後で気付いたのですが、スワンのオーナーになるような人たちはスワングッズなどというのではなく、もっと名の通った本格的な食器を揃えるのでしょう。
 蛇足ですが僕もヘルシンキのアラビアで少しばかり陶器ガラス器を買って発送手配してもらいました。20個ほどで運賃は船便+保険料+手数料で9千円でした。




「ナウター・スワン社訪問記録(2)」  96/3
 
ナウター社訪問5>言葉            CAP.黒潮丸
 手元にナウター社30周年記念のパンフレットがあります。意外な感じがしますが、あのスワンがわづか30年の歴史なのです。30年でこれだけの名声を築いたのは、建造のコンセプトが最初から余程しっかりしていたのでしょう。
 パンフは英語で書かれています。これをしっかり読めば、スワンの製作の特色とか、これからの方向性などが理解出来そうです。しかししっかり読めません。英語を読めないのもさることながら、専門用語が正確に理解出来ないのです。ヨットの設計、建造や、本船の建造に実際に携わっている人に教えてもらいながらでないととても読み切れません。残念ながら紹介出来ません。
 フィンランド語は隣のスエーデンやノルウエイとは語源が異なっているのだそうです。フン族というか匈奴というか、アジア系の末裔だそうで言葉の系統が違うのだそうです。AFSの留学生でノルウエイから来ていたイングンが、5ヵ国語が出来ながらフィンランド語だけは駄目だと言っていました。
 今回の訪問で、工場ではお互いに適当な英語で話すのだと思っていたら、代理店のI君は立派にも通訳を雇って泊まりがけの工場訪問に同行させました。この中年女性(フィンランド人)は10数年日本に住んでいて、1年の休暇で故国に帰っている人でした。きれいな日本語を話します。おかげで誤解のない意志の疎通が出来たと思います。ナウターの営業の人たちも英語は話すとはいうものの、やはり本当は英語で話すのは疲れるのです。
 通訳の女性は、フィンランドの企業に勤めて日本に駐在している人ですが、勤続10何年かで1年の休暇をとって帰国しているのでした。「久しぶりに故郷に帰って、これからどうするかじっくり考えるよい機会なのだが、ただこちらはあまりに刺激がなさ過ぎる。」と言っていました。プロスポーツはアイスホッケーだけ。競馬、競輪、パチンコなど一切なし。
 日曜にヘルシンキ市内観光をした時にもガイドを頼みました。この人はフィンランド人と結婚して20年も住んでいる日本人です。彼女も、その刺激のないことを嘆いていました。フィンランドには晩酌はない、と言うのです。何故なら彼らは飲めばとことん飲んで飲みつぶれるまで飲むので、ちょっと晩酌の習慣はないのだそうです。でも彼女は、日本に行ってこちらに帰ってくるとこの穏やかさにホッとすると言っていました。
 デパートの買物で、英語が判るのは売場に一人でした。陶器のアラビアでも英語で応対する店員は一人でした。
 ホテルや駅、新聞、テレビなどで英語が少なく、情報の摂取が極端に少なくなります。
 
ナウター社訪問6>質問            CAP.黒潮丸
 I君とY氏がオプションの相談をしている間に、営業のシェル氏を捉まえてかねてからの疑問を質問しました。
1、どうしてこの場所に立地したのか?
  港でもない、材木がとれるでもない辺地に立地した理由が判らなかったのです。答えは、いろいろ理由はあったが要するに工場誘致で優遇策があった、という
ことらしいです。それに鉄道の駅が近い、とも言っていました。
2、スワンの価格政策について聞きたい。
 スワンでは世界中のカストマー向けに工場建値を公表している。だから客はその値段で買えると思う。しかしスワンの建値は工場渡しの価格である。客は我々業者に対し自分のマリーナ渡しを希望する。その違いを説明すると、客は運賃、保険料、通関費用、艤装費用、船検取得費用等、一切の費用は支払うという。だが、スワンの工場からマリーナまでのリスクは運送保険に入っていれば済むものではない。予想出来ないことまで含めて、すべてが我々業者のリスク負担となる。客は実費は払うが、このリスク負担の「費用」を払うとは言わない。本来このリスク負担は販売利益の中でカバーされるべきものであろう。しかし工場建値が公表されていて、多くの販売利益をのせることは出来ない。どうしてくれるか?
  答えは、いろいろ言っていましたが、要するに結論はありませんでした。そもそも僕はナウター社と直接取引関係がないのですから、答えが出るはずがありません。
3、アメリカやオセアニアでは中古艇の取引にあたって、サーベヤーが介在することが通例になっているようだ。ヨーロッパではどうなのか?
  答えは、ヨーロッパでもほとんど必ずサーベヤーが鑑定する、ということでした。
  日本にはサーベヤーがいないと言ったら、それじゃ貴方が始めればいいと言って笑っていました。僕がサーベヤーを志しているなどと一言も言わないのに、サーベヤーをやったらと言われて、すっかり嬉しくなってしまいました。
 相手も母国語でない片言英語とはいいながら、これだけのビジネストークを行なったのは僕には初めての経験で、すっかり嬉しくなりました。
 
ナウター社訪問7>スワンの値段        CAP.黒潮丸
 スワン44の値段をどれくらいだと思いますか?
 約6500万円です。4年くらい前には1億2千万円でした。最大の下落理由はFIM(フィンランド・マルカ)の切り下げです。業者利益も10%くらい減っているでしょう。
 ナウター社の手取りは減っていません。為替レートっていったい何なんだろう。よく判らない。
 
ナウター社訪問8>まとめ           CAP.黒潮丸
 船を買ってもらったオーナーと一緒にビルダーを訪問するなど、初めての経験でしたが、3人で行って3人それぞれに、非常に有意義な旅行でした。
Y氏−スワン44MK・-121号艇のオーナー。54才。外車の輸入販売業者です。
 もう20年も前からのヨット乗りで、昔はNORCのレースでも名を馳せていましたし、ボートも持っていて本格的なカジキ釣りをやり、毎年ハワイのビルフィッシュトーナメントに参加したりしている海のベテランです。 
 スワンについては随分なご執心で、一旦は36Fの中古艇を買って三河御津マリーナに置いているのですが、このところ2年続けてパリのボートショーに行ってスワンのブースを覗いていました。
 今回やっと新艇を発注して、オプション等の打ち合せにビルダー訪問したのですが、当初考えていた以上に満足すべき訪問だったようです。120号艇が出荷直前で水槽に浮いていましたし(だから実物にあたっていろいろ注文を付けられた)、121号艇の部材があちこちに姿を現し始めていて、本当にご満悦そうでした。
 次に48Fを買いたいと言っていましたが・・・
 
井上氏−ナウター社の関西代理店(日本総代理店「さとり」のサブ店)
 実はこのところ「さとり」シーモア氏のスワンオーナーに対するアフターサービスが行き届かず(事情があるようです)、井上氏が関西のみならず関東まで引き受けて飛び回っています。井上氏はそんな実績を背景に、ナウター社に自分の存在を強くアピールしようとしているのですが、今回の訪問は大いにプラスになったと思います。
 それにしてもちょうどこれから働き盛り(40才前後?)で、骨身を惜しまずよく動くし、センスもいいし、ボート・ヨット販売業界で名をなしていくことでしょう。


 
M氏−つまり僕
 ヨットを売った窓口業者として同行したのですが、僕にとってはマリンサーベヤーとして得難い経験をしたことになりました。
 これまでにヨットビルダーを見学した(工場内を説明を受けながら見て廻った)のは、ニュージャパンヨット、ヤマハ蒲郡、ヤマハ八代、台湾陳振吉造船、アナポリスの小造船所などですが、今度こそヨットの本物を作っていると感じました。
 完璧なものを一度知ってしまうと、後は何を見てもそこからの引算で見ることが出来るようになります。これからの僕のヨットのサーベイにどれほどの見識と余裕を与えてくれるか、図り知れないものがあります。


-完-

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