石廊-大王-潮岬航海記2

 

第5日(7/22)勝浦---尾鷲

 天気予報は雷雨です。6時に出航し、13・00に尾鷲に入りました。いろいろ迷いましたが保安部の船の着いた桟橋の反対側に、2隻分空けてスタンアンカーのバウ着けしました。空けたのは正解でした。

 尾鷲は湾口を入ってから港まで30分もかかる奥の深い天然の良港です。これほどの良港を東邦石油しか利用していないのは勿体ないことです。魚市場は殆ど利用されていないようです。そりゃそうでしょう、ここで水揚げしても買う人がいない。運ぶのに遠い。

<尾鷲の町>

 寂れた町を歩きました。漁業の町に漁業の活気がなく、東邦石油がほとんど稼働していないのでは仕方ありません。映画館があったら映画を見ようと話していたのですが、崩れた映画館があるのみでした。

 昼食の店を探しても見つからず1軒あったのは2時過ぎて休みでした。そば屋もありません。やっとある食堂に入りました。お爺さんお婆さんでやっている店でした。小さなお稲荷様の神棚が幔幕も新しく飾ってありました。その隣に出征兵士を送る写真が飾ってあり、さかきなど供えてありました。50年以上昔の写真でしょう。壁には美人演歌歌手のポスター、これは酒造メーカー、富士山と宝船と大黒さまのポスターは冷凍機メーカー、そして靴屋のジェームス・デイーンのポスターがありました。M氏はカツ丼を注文したのですが、そそくさと出て行ったお爺さんはどうやら近くでトンカツを1枚買ってきたようでした。しかし出来上がったカツ丼はちゃんと卵と玉葱が乗り、飯に馴染んでいました。750円。

<平和湯>

 銭湯平和湯は200円でした。中学生以上は大人です。

 そうなのです、中学生以上は大人なんです。漁師は身体が大きくて頑張れば中学生でも一人前の給金をくれるのです。世の中学生諸君、よくよく心されよ。

<尾鷲神社>

 町の表通りから100メートルも離れていないほどの、そして町と同じGLにお社が建つ、すこぶる平明な神社です。しかし境内は広く、穏やかで清らかな感じがします。樹齢千年以上、目通し10メートルという楠が2本並んで枝、幹を張っていて、日本一の多雨地域であることを思い出させます。

 30代、普段着に前掛け姿のご婦人がお賽銭をあげ、二礼二拍手のあと両手を合わせて何事かお願いしています。2分以上もお願いしていたでしょうか。そして境内には本殿の他にまだ幾つかのお社があるのですが、そのそれぞれにお賽銭をあげて、同じようにお願いしていました。よほどの心願があるのでしょう。

<つるぎ>

 夕食は昼の食堂で一緒になったスナック「司」のママさんに聞いた大衆割烹「つるぎ」に行きました。いさきの塩焼きほか、5千円。なかなかのお店でした。お薦めします。

 

第6日(7/23)尾鷲---波切港

 尾鷲を05・30に出て波切港に向かいました。相変わらず東の風、曇りです。靄が深く、視界3マイル。

 布施田水道とっつきの布施田灯標のわきに巡視艇が停まっていて、近づくと何やら言っています。何事ならんと思えば「和具の祭りで漁船がたくさん大島に出ている。気を付けるように。」とのことでした。漁船がそれぞれ旗飾りを立てて集まっていました。あの大島に上陸して皆で何か祈願するようです。

<波切港>

 昔は大王崎にわずかにへばり付いた小さな港だったのでしょうが、今は港湾整備で大きな港になり、使いきれずに持て余しています。入り口東南側の定置網にはいつも泣かされます。13・15、着桟。

 お目当ての田中料理店へ。ここのかつお茶漬けが逸品です。2500円。(かつお茶漬けだけは830円です。)

 夕食もまた田中料理店へ行きました。とろかつおの刺身、はまちのあら煮など、3800円。今年はそこの中学生の娘が夏休みでお店を手伝っているのが印象的でした。まだ慣れないらしく「いらっしゃいませ」という声も大きな声が出せません。でもお母さんにならって一生懸命です。お父さんからバイト料でももらうのでしょうが、初々しく、いい感じでした。夫婦でやっているお店です。

<フランスのケッチ>

 我々のあとから大きなケッチが入ってきました。フランス人の夫婦と黒猫1匹です。顔を合わすなり「West wind. West wind. 」と言います。ここ数日は東の風が続くらしいというとがっかりしていました。どうやら彼らは天気予報をキャッチする術を持っていないらしい。テレビも気象FAXもありません。FEN放送も知らないので教えました。

 新宮を出て4日間、ずっと御前崎の遥か南あたりまで行きながら、上りきれずに大王まで戻ってきたのです。船齢30年、ロングキールのこのヨットはそれほど切り上がり性能が悪く、エンジンパワーも小さいのです。しかしこれでフランスを出て4年、ケープホーンを回りタヒチ、ニューカレを回って来ているのですから我々が心配することはないようです。これから仙台を目指し、それからカナダに行きたいようです。ただそれにはちょっと季節が遅くなり過ぎていると心配していました。

 船名はM氏にはどうしても発音出来ません。この本からとったと本を見せてくれましたがフランス語はチンプンカンプンです。旦那はクリストファー、奥さんはナデイアです。

<波切に鬼がいた>

 クリストファーがチャートのコピーを欲しいというので連れだって出ました。しかし近くにコンビニは見当たりません。観光協会に行ったのですが不在、そこで鳥羽志摩農協波切支所に飛び込みました。そして事情を話してコピーを(A4版3枚です)お願いしました。窓口の人はいいですよとすぐに腰を上げたのですが、なんだか後ろの方でごちゃごちゃ談義があり、係長風の小鬼が出てきて、「ここはコピーはやっていない。波止場の向こうに岡よし酒店があるからそこへ行ってくれ」といいます。指示はその後ろの大鬼が出したのでしょう。判らないままに歩き出したのですが、なんとその店まで2キロ近くもあったのでした。炎天下の道です。彼らは鬼か、と思いました。

 忘れまいぞ、鳥羽志摩農協には鬼がいる。

 

第7日(7/24)波切---御前崎

 いよいよ本航海最大の長丁場です。東の風。雨。覚悟を決めて04・30に出航しました。2ポンのメインだけ上げます。

 走るほどに風も雨も強まります。

<荒天航>

 10時頃には見かけの風ですが風速40ノット、波高4メートルに達しました。篠つく雨です。ひたすら走ります。どかんどかんとハルが波を叩きます。雲はお尻が垂れ下がって裾が海に届いています。自分の頭が雲に当たりそうです。

 もしエンジンが停まったらどうしようかとばかり考えていました。ヨットですからエンジンが停まってもセールが破れない限り遭難とは言えません。「メーデー」を発するわけにはいきません。ではどうするか。ストームを上げてタックしながら上るのか。多分朝まで走ることになるだろう。2人の体力が保つだろうか。鳥羽方面へ戻るのか。それも辛い。「緊急通信」で巡視艇の曳航を要請するのか。遭難未遂?

 13時頃からやや風が落ち、雲が高くなりました。それでも30ノット前後、雨は相変わらずです。エンジンは健気に動いています。ひたすら走ります。オフワッチには濡れたカッパを脱ぎ、思わずへたりこんで眠ってしまいます。ウイットブレッダーの苦労が偲ばれます。

 15時頃になって風速は25ノット前後、波高3メートル程度になりました。

 18・15。御前崎港に入港しました。73マイル。13時間45分。朝から口に入れたものはサンドイッチ一切れと、チョコレート3粒、ビスケット4枚でした。港に入って雨が止んだのは幸せでした。

 思えば往航のあの星を見上げながらの至福のナイトクルーズも、この苦難の荒天航に裏打ちされていればこそ、一層その甘美を増すのかもしれません。

<御前崎港>

 ほかに掛け替えがないので利用しますが、なんとも魅力のない港です。岬からの入りは暗礁で危険いっぱいだし、港はいたづらに巨大なコンクリート建造物で、そのためか手前はいつも波が悪く、不快な気分での入港になります。広いので着けるのは比較的楽ですが、肝心なトイレが遠く、汚く、風呂がなく、食堂がない。港としての基本機能に欠陥があります。

 トイレは右端の漁協販売センターと船員休憩所の間を入った奥にあります。案内看板はありません。これは船員のための施設であって、観光客用途ではないという姿勢なのでしょう。大便所は一穴で、その汚さは昨今あちこちのトイレがきれいになっている中で特筆に値します。釣り人の多い港で、その人たちが皆利用するから一穴では能力的に足りないのです。だから汚くなる。女性用はありません。(なお御前崎港の名誉のために書き添えますが、今年は清掃状態は中の下、トイレペーパーもありました。)

 食堂はずっとなかったのですが、昨年「なぶら市場」というのが出来て、そこに寿司屋が入りました。なかなか旨くて安い店で、今年も楽しみにしていたのですが生憎貸し切りで断られました。幸い隣りにもう1軒飯屋があり、そこで御前崎御膳、しらすだいこんなどを食しました。3000円。

 

第8日(7/25)御前崎---下田

 6時出航。風は東北東。青空が見えます。ジブも上げて快適に走ります。

 港を出る正面に富士が最も美しい姿を見せます。御前崎港唯一の取り柄です。

 空には高い高い巻積雲。いったい昨日のあの雲はどこから来てどこへ行き、そして今日のこの雲はどこからやってきたのでしょう。

 見慣れた伊豆の山々が見えてきました。いつもながら海から急に高く、緑濃くて秀麗です。

 石廊崎に近づく頃から風は吹き募り、38ノットにも達し、雨こそないものの昨日と同じような状態になりました。しかしホームポートは近く、空は明るく、昨日の気分とはまるきり異なります。

 こうして11・30、いつもの場所に着けて本航海は終わりました。

以上

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