囲碁のこと 2016/7/12

今朝のTVで、ある碁会所で今月になって15人も会員が増えたとTopicsを流していた。
数日前、新宿歌舞伎町の碁会所の24時間を映す番組があった。
歌舞伎町の碁会所は私も昔行ったことがある、と見ていたが創業35年というから私の行った碁会所とは違う。私が行っていたのは60年前だ。

私は大学生の頃、父に碁を教えてもらった。
倉庫を探したらこの写真が出てきた。懐かしい。

昭和53年頃、阪急六甲の高羽町に住んでいた。
駅までの途中に「鷹羽塾」という学習塾があり、小学生の娘が自分で探してきて行きたいというので行かせた。
面白い先生で時々小旅行に連れて行ってくれた。私もついて比叡山や紀三井寺などに行った。
ある時、ふらりと三宮の碁会所に入ったらその先生が居るではないか。打ったがとても歯が立たない。
その後塾の放課後に寄るようになったが、どうしても3子以上は置かせてくれず、ついに一度も勝てなかった。
神戸を離れてしばらくして、先生の写真が大きく新聞に出た。「虹へ、アバンチュール!」という小説が第1回サントリーミステリー大賞を獲ったのだった。
昭和58年初版 書棚にあった

昭和57年頃、出光静岡支店に松本某君という囲碁の達人が居た。アマチュアの6段で、全国のアマチュア中10指に入ると言われていた。
勿論静岡県のチャンピオンで、当時静岡新聞社が県チャンピオンと時の名人を対戦させる企画があり、松本某君は3子で趙治勲名人と対戦して勝った。最も脂の乗った時期の趙治勲であり、話題になった。
静岡県に囲碁の実業団大会があり、県庁、県医師会、ヤマハ、ホンダなど強豪に伍して出光チームも参加した。松本主将のおかげで一目おかれた。
私も初段格で出場したが全敗であった。私の初段が怪しいというより、みなが下格に詐称していたようだ。

雑誌の段位認定の問題を解いて提出したら3段をくれるという。認定証に5万円を払わなければならない。
妻に相談したら馬鹿馬鹿しいというので申請はやめた。

社内での昼休みの囲碁はだんだん遠ざかり、将棋を嗜むようになった。食事時間を除いて45分では囲碁は楽しめず、20分ですむ将棋に傾いたのだ。
絶対に歯が立たなかった相手に1年経ったら勝てるようになった。社内将棋大会の優勝賞状がある。

リタイア後伊東で碁会所に行ってみたが、タバコの煙に辟易して行くのをやめた。
何人かリタイア老人と打つ機会があったがどうしても3時間はかかる。3番打つまでは離してくれないのでやめた。

この15年、石を握ったことはない。
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